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水戸野の桜幽玄 [桜]

水戸野(みどの)の枝垂れ桜

【追記】しました。(100426)

梶井基次郎「桜の樹の下には」より 
 桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!  これは信じていいことなんだよ。何故つて、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だつた。しかしいま、やつとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる。これは信じていいことだ。

水戸野のシダレサクラを見るとこの梶井基次郎の文が生き返ってくる。

水戸野(みどの)」という名前は聞いたことない地名でした。
場所はJR高山本線の白川口駅から5km東に入ったところです。
同じ岐阜県に「白川」という名前がありますが、合掌造りの白川は白川村にあります。
白川村と「白川」は異なります。また、「白川」は「白川茶」としても有名です。

水戸野は県道62号線を国道の白川口から入って、
谷合を行くと茶畑が現われました。右側の川にかかっている小さな橋を渡ると、
小高い丘の斜面が現われ、桜に会うことが出来ました。

この桜は寛永(1624-1643年)年間に、渡邊家の先祖が、
墓地であった山際の一角に、「墓守の桜」として植えられたとのことです。

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満開時には夜ライトアップします。闇に浮かび上がる桜を見上げるのは相応しい夜桜です

ところで、墓守の桜という言葉は、あまり耳にしません。
この言葉は、豪華絢爛な太閤の醍醐の花見を想像する桜のイメージに対して、
墓という忌み嫌うニュアンスをもっているからだ、と思われます。
しかし、縁起とか気味とかいう感覚だけで片付けられないものが含まれます。
ここで、桜に対する史観について調べてみますと、
叙情的な面とは別の側面を持っていることが分かりました。

さらに、いつの時代に「桜が墓守」とされたのか調べてみますと、
時代的に余り古くはなさそうだと分かりました。

桜の叙情と生活の歴史を調べますと、

1) 平安時代より前までは、野生の桜を鑑賞していたと書かれています。
 【参照】「さくら雑学事典」 http://homepage3.nifty.com/~tabi/c83/sakura0.htm
この時代には、桜は「墓守」という存在ではなかったようです。

一方、庶民的に見れば、桜は農業を主とする庶民生活に根ざしたものでした。
というのは、桜花(桜の花と樹を区別している)を詠んだ万葉集の43の歌があり、
これらの多くは作者不明の歌です。
その中には、桜は恋の暗喩(メタファー)として出てきます。
自然は、生活には厳しくとも、
当時の人には、桜に対して、鷹揚な、素直な気持ちだったのでしょう。

2) ところが、時代が下がり、平安時代になると
貴族や特権階級の人が詠む歌に表われる桜は優雅さや儚さを表すものに変わります。
文化的にある程度成熟した時代をうかがい知ることが出来ます。
さらに進んで、野生の桜を移植して鑑賞するようになり、
次第に地方にも波及しました。
高貴な方のお手植えの桜というのはこの頃の風潮なのでしょう。

しかし、この間に、庶民、特に農民の間には桜は農事の指標であって、
桜の開花は1年の農作業の始まりを示す自然指標になっていました。
また、同時に、前年の豊穣に感謝する心の象徴にもなっていました。(苗代桜の例)

ここで、桜の一年の時間単位を、人の一生に対比してみましょう。
蕾から満開となり、散り行く桜花のあとに、赤い若葉と実の成熟を見、
緑の葉は日の光を受けて沢山の栄養を蓄えます。
そして、数多くの子孫を作りながら、冬の寒さに支度をします。

では、桜の一生は、ただ成長する姿だけでしょうか。
 何かを守っていませんか? 
 何かと話し合っていませんか? 
 何かを伝えてはいませんか?

歴史の流れと日本人の感覚が、桜を叙情的文化として前面に表わしてきました。
すなわち、桜花は、開花の美しさや落花の儚さなど叙情の対象の面が表に出てきました。

しかし、優雅さの流れが、ある階級の中で蔓延する一方、
桜は自然神となり、庶民文化として、生活に浸透していきました。
そこで、自然教ともいえる桜の姿を想像すると、
道祖神、先祖を崇める墓を守る存在に桜の意味が変化した、と類推できます。

3) 定かではありませんが、少なくとも、桃山時代には「墓守」という桜が地方ではありました。
水戸野の桜もそうでしょう。樹齢300年の「ひよもの桜」は三宅家の墓守の桜でした。
しかし、桃山時代よりも前に、桜が墓守であった証拠は、私には見つけることができませんでした。
想像ですが、平安文化の影に、墓守としての桜が息吹を持ち続けた、とも考えられます。

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ひよも(岐阜県恵那市にある三宅家の屋号である「日向」)の枝垂桜

ところで、犬山の円明寺の「天蓋の桜」(勝手に名付けました)で述べましたように、
http://kz--t3.blog.so-net.ne.jp/2010-03-24
枝垂桜は祖先を庇護する守りの役目をしているようです。

【エピローグ】
ここで、枝垂れの意味するものを見てみましょう。

○ 柳田国男は「人間の魂魄もまた蒼空を通って、祭られに来るものと信じられていた痕跡として桜を受けることがある」という表現をしています。桜を農業文化として捉えると、天空への架け橋でもあるわけです。一年に一度天空に開いた天蓋に降り、枝垂れを伝って地上に降りるという想像は幽玄で叙情的です。

○ これに対して、私は別の見方をしています。すなわち、墓地にある英霊に桜は根を張り、物質(ひょっとすると魂まで)を墓から桜へ吸い上げて行きます。桜の天蓋に達した流れは、「気」として大気の中へ放出・拡散します。枝垂れ桜は地に落ちる花で天から声を送るのではなく、英霊から大気に花片に乗って、古人の意思は拡がり、ある極めて少ない確率で別の「生」をかもし出すと考えます。この考えは柳田の考え方の逆ですが、科学的にはあり得ることと思っています。すなわち、「質量保存」と「輪廻」があり、分子・原子の無限に近い組み合わせの中で、新たな「生」を造り出す世界です。

○ 【追記】 似た感覚を持っていた人に、梶井基次郎がいるということがわかりました。「桜の樹の下には」において少し気味の悪い表現を読みました。物質の輪廻はこの世では極めて当たり前のことです。叙情や感情だけで桜花を見るだけでなく、輪廻の世界からみると、花弁の散る様や桜花の妖気を違った気持ちで見られます。
梶井基次郎の青空文庫のアドレスを下記します。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/card47552.html

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夕刻の水戸野の枝垂れ桜、左下には先祖の墓があり、桜の両脇には茶畑が広がっている

(改稿履歴:100426; 100411; 100410; 100409; 100407; 100406; 100405)
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天蓋桜からの大空 [桜]

天蓋桜からの大空

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円明寺の枝垂れ桜の下で青空を覗く

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ひよもの桜を仰ぎ見る

天蓋の桜の下に立ち、桜を通して大空を見るときに、一年の、ある時期にだけ見ることが出来る伝達式なのでしょう。「固」から「気」へ拡がっています。その姿を見つめ、変わる形を追っていくと、そこには春風を感じます。

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雲上の桜の下から空を仰ぎ見る

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奥山田の枝垂れ桜の下から空を仰ぎ見る

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吉祥桜の天蓋を仰ぎ見る

http://pht.so-net.ne.jp/photo/usuzumi (100510 SonetPhoto中止によりアクセスできません)

(改稿履歴: 100420; 100414; 100413)

霞間ヶ渓(かまがたに)の桜 [桜]

霞間ヶ渓の桜

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 「霞間ヶ渓」(かまがたに、古くは鎌ヶ谷)は岐阜県揖斐郡池田町の西方にある池田山(標高923.9m)からの渓谷です。ここの谷には自生の桜と、後ほど植林したソメイヨシノがあり、国指定の天然記念物として、春には観光客の多いところです。池田山はその西にある伊吹山と山並みは続いています。4年前に来たときには霞間ヶ渓を散策しましたが、今回は桜が目当てです。ソメイヨシノの開花まで少し早いことが幸いし、咲いている桜はほとんどヤマザクラでした。大垣藩の時代に、渓谷の暴れ川の堰の補強のために植樹したとありますが、堰に桜を植えるのは日本人ですね。(最も規模が大きいのは神通川堰の桜でしょう) しかし、自生しているヤマザクラは自然に育ったものです。

http://pht.so-net.ne.jp/photo/usuzumi (100510 SonetPhoto中止によりアクセスできません)

二本の桜を調べてみました。ハンドブック*)を照らして、これらがヤマザクラであると分かりました。萼筒、苞、葉身には特色があります。

右側の桜から
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左側の桜は、
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白い花弁に赤みの葉は典型的な山桜のイメージです。
葉(歯)がないとウバザクラ(乳母桜)になりますね。

*) 【参考文献】
大原隆明、「サクラ」、文一総合出版、 ISBN978-4-8299-0181-6 ¥1200

乳母桜 [桜]

北一色の乳母桜

 岐阜県道53号線の道路脇に白い花をつけていました。
樹齢300年の乳母桜です。この桜は霊園の道路側隅にあります。
多くの桜が墓地の近くにありますが、これはその典型かもしれません。

「トラは死して皮を残す。人は死して名を残す」という諺がありますが、
墓守の桜は、人の100年を、1000年かかって、古人の意思を伝えています。
その饒舌を静かに聴くと、花弁ひとつに、枝一本に、見ることが出来ます。
さらに、幹と根からも言霊が聞こえます。
桜の根はその高さの二倍は張って、墓石の下へ広がり、
精神的にも、物質的にも、意思を伝えています。

ちょっと気味の悪い表現ですが、
墓地の近くの桜は何らかの形で墓と地下でつながりあっています。
つまり、桜には土を伝線とする魂の流れの役目をしています。

ウバザクラについて
ウバザクラはエドヒガンザクラの別称ですが、満開になると花の白いのが特徴です。花が咲くときには、乳母が歯(葉)がないのを文字って、このような名前になったと記されています。江戸の人の洒落なのでしょう。

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http://pht.so-net.ne.jp/photo/usuzumi (100510 SonetPhoto中止によりアクセスできません)

(更新履歴:100402)

3月に咲く岐阜・愛知の一本桜 [桜]

3月に咲く岐阜愛知の一本桜

林陽寺の枝垂れ桜(樹齢150年)
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岐阜県岐阜市岩田西3丁目402番地 八幡山林陽寺境内
 畑の中の一本道を北へ行くと、桜の大きな笠が現れます。正門の屋根を覆うような桜でした。見上げると桜飛沫が眼に入ります。また、正門の左側に、白木蓮が競うように咲いていました。多くの桜は傾斜地にあり、しかも、近くにお墓があります。この条件はお寺が条件適合します。人は100年にして最後の眠りにつきますが、それを受け継ぐように桜は1000年の後代まで伝えていきます。一年一度の開花は、脈々と流れる心の意思を静かに表現します。「思い出し給え」といわれて、「何だろう」と考え出してしまいます。
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雲上の桜(樹齢500年、町天然記念物
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岐阜県揖斐郡池田町池野の毘沙門院
 「雲上」という名前は最近(H8年)に名付けられたものですが、その名に相応しい感がします。正門から最初に見たときに鳳が飛び立つように思えました。このときは咲き初めでピンク色でしたが、満開近くなると白色が多くなるでしょう。その時には雲のような桜と想像します。
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奥山田の枝垂れ桜(樹齢750年?、300年、市指定天然記念物)
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愛知県岡崎市奥山田町山田46
 持統天皇のお手植えの桜と説明されていますが、目通り(看板には胸周2.4m)から想像して、2-3百年と推定します。桜は石垣で囲われた小高い丘の上にあります。咲き始めの朝、落下盛んな夕に見応えがあると記されています。しかし、昼の明るいときに見ると勇壮でした。樹勢盛んで、横で二世の桜も育成されています。
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円明寺の枝垂れ桜(樹齢300年)
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愛知県犬山市大字犬山字東古券595
 この寺の場所を見つけるのはちょっと大変です。一方通行の路地にあるからですが、余り有名でないので人は多くありません。この桜を見て「天蓋」を思い浮かべました。周囲を見ますと、お寺のお墓が近くにあります。西行法師の『願はくは花のもとにて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月の頃』の歌に、眠った古人の成就を伝えているような姿に映りました。ここで、天蓋の下に入って見上げると、天空に青空が拡がります。視線を黒い幹から枝へ登り、その先の明るい桜の花があります。そして先には広い世界への祝福が待っています。

フォトのアドレス
http://pht.so-net.ne.jp/photo/usuzumi

尾崎公園の早咲き桜 [自然]

尾崎南運動公園

 尾崎公園は岐阜県各務原(かかみがはら)にあります。この運動公園の坂道の横に桜の樹が植えられています。岐阜県の数ある桜の中で、最も早く咲く桜です。十数本ある桜は、一見したところでソメイヨシノと思われていますが、ヒガンザクラの変種と3年ほど前に変更されました。しかし、中には時期が早いものもありました。勿論、ソメイヨシノと同じく栽培品種です。また、鱗片の外面先端近くにも毛があることを写真では見られませんが、カンヒザクラであろうと想像します。これに対して、別のHPには河津桜と紹介されていました。時期が早いということでは可能性がありますが、額のところまで赤くなく、また、外見的にはカワヅザクラではないようです。栽培品種は何を掛け合わせたかわかると、何の変種かわかりますが、詳しい遺伝子解析をするのが決定的です。無論、栽培種にそのような解析をすることもありませんので岐阜市の調べられた報告しか論拠がありません。しかし、このサクラは結構有名です。地元の岐阜版には紹介されており、WEB, BLOGにも多く登場します。「幸せな桜」と名付けておきます。

 さて、桜の開花が河津桜で始まる1,2月頃には、少しでも早く見たい気持ちが起こります。早咲きの桜を求めるのも自然なことでしょう。また、報道でも、「花便り」を伝えたい気持ちから、早咲き桜は採り上げられます。寒さの中にも「花便り」というのは、繊細な季節感を有する日本人の自然観があり、春を待ちわびる気持ちを垣間見ます。
 桜をご覧下さい。(100313初稿、100319、100324改変)

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タグ: 樹木

サクラと遺伝子 [自然]

サクラと遺伝子

 「人生100年、桜は1000年」という言葉を書いています。
 ここでいう桜はソメイヨシノではありません。ヤマザクラ、エドヒガンザクラなどを言います。
 有名な桜といえば吉野桜ですが、日本の三大桜淡墨桜(樹齢1500年、岐阜)、山高神代桜(樹齢1800年、山梨)、三春滝桜(樹齢1000年、福島)です。これらは特別、長寿な桜です。他に、地元岐阜県には、臥龍桜(飛騨一ノ宮)や西光寺のシダレザクラ(高山市清見)があり、それぞれの樹齢は1100年、800年です。これらも長寿で立派な花を咲かせます。それぞれ、エドヒガンザクラやヒガンザクラの変種です。では、これらがソメイヨシノとはどう違うのかというと、ソメイヨシノは江戸時代に園芸種として接木などにより作り出された品種(すなわちクローン)で、短命です。それに対して実生である自然界の桜は成長が遅いけれども長寿です。このことは理由ではなく結果から言ったものです。
 しかし花の楽しさから言えば、成長が速く、華やかなソメイヨシノも、幹の太い、大きな桜の古木も、艶やかに気品高く、毎春、我々を楽しませてくれます。
 それでは、寿命に関する違いの理由が分かるには、もう少し科学的に違いを調べる必要があります。そこで、遺伝子が注目されます。

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国指定天然記念物・揖斐の二度桜 (二度咲くのではなく、少し時間を空けて二重に咲くものです)

 さて、近年、栽培種であるソメイヨシノが枯れることが話題になります。ソメイヨシノは樹齢60年(120年の長寿もある)とされますから、戦中戦後、植えられたものと推測されます。ソメイヨシノは接木によるクローンです。すなわち、すべて祖先は一つであり、遺伝子が確実に保たれています。さらに実ができない、または、実ができても育たないので、交雑による遺伝子変化がありません。ところが、他の桜と比べて寿命が短く(子供の頃見た桜が還暦を迎える年に枯れる)、感染や寄生されやすい欠点があります。それでも、このクローンはそれなりに特徴があります。たとえば、成長が早く、若木から花をつけます。さらに、気象庁の開花情報はソメイヨシノが標準木となっています。つまり、花をつけるときの基準にできます。理由は、その土地の気象条件などを反映するが、木の遺伝的な性質は均一で変種がないですからです。

 さて、桜の遺伝子に興味を持った切っ掛けは11月に咲いた十月桜でした。調べてみると、桜の「ふるさと」はヒマラヤの麓です。その花は秋に咲きます。といっても秋桜(コスモス)ではありません。桜の日本への移動はルーツから、中国、朝鮮半島を経るルートか、南から来るルートが考えられます。いつから春に咲くようになったのか、が考えられます。また、いつから春咲き種が栄えたのか、定かではありません。
 春に咲く桜が多い中に、十月桜は秋に咲くので、先祖帰りしているのでしょうか。勿論、根拠はありませんけれども、遺伝子の多型によって、その発現が起こっても不思議ではありません。つまり、遺伝的にあり得るということになります。

 これらの知識から、少し遺伝子研究を調べてみようと思いました。ところが、桜の遺伝子研究は多くありません。お会いした関係者の方々にお聞きしましたが、答えは同じでした。そこで、文献調べをしてみますと、関連論文16の内、9報が手に入りました。そのうち8報が日本人が著者です。桜に対して日本人は大変な入れ込みをしていることが窺えます。

【1】最近の論文より、森林科学研究所のY. Tsudaらはヤマザクラの遺伝子を解析してEST(発現配列タグ)-SSR(単純反復配列)によって決められることを報告しています。
Y. Tsuda, S. Ueno, S. Kato, T. Katsuki, Y. Mukai, Y. Tsumura, Conserv. Genet., 10, 685–688 (2009).
また、同じく、同著者の岐阜大学の向井譲先生らによって、系統樹が12の桜木について調べた結果が示されています。
J. Plant Res., 122, 367–375 (2009).

【2】遺伝子の解析の仕事は、今ほど発達していなかった23年前に、T. Kanekoらによって行われていました。
T. Kaneko, T. Terachi, T. Tsunewaki, Jpn. J. Genet. 61, 157-168 (1986) .

 桜の分類を見てみますと、日本の桜はおおよそ9群(10種類という人も居ます)に分類されます。実生で育ったか、接木や挿し木で増やされたものか、判定するのは、時代が経過すると大昔のものは解析が難しくなります。しかし、遺伝子の解析から系統樹を作成し、オリジナルを求める研究は可能です。
桜の分類のURL
1) http://hccweb5.bai.ne.jp/nishicerasus/index2.html 「日本の桜について」の項目
2) 大場秀章、川崎哲也、田中秀明、木原 浩、「新日本の桜」、山と渓谷社、ISBN978-4-635-06192-6、¥4200+TAX (2007.3.10).

【3】外国では、韓国のJeju(済州島)の桜に対する研究は染井吉野と比較研究をされた。結論は日本のソメイヨシノではなく別のものであるとしています。
Scientia Horticulturae 114, 121–128 (2007).
補遺
この論文は事実として報告です。韓国でのソメイヨシノは日本人とは違った受け止め方をしている人もいます。韓国の人が日本を見るときに、侵略の歴史を無視することができない気持ちを持っています。そのことを客観的に理解する論文を表しています。つまり、事実認識として桜を見るということです。

【4】また、太田 智 先生によってエドヒガンサクラについて調べられ、10A-T-9A型であり、ソメイヨシノはこの型を持つため、ソメイヨシノはエドヒガンサクラを母親とすると判明しました。
J. Japan. Soc. Hort. Sci.,75, 72–78 (2006).

【エピローグ】
 前述の十月桜は秋から冬に咲き、春には花をつけませんが、春、秋ともに咲く桜があります。その例は豊田市小原の「四季桜」です。紅葉と桜の見物ができるので小原は多くの見物客で賑わいます。「秋に春」という不釣合いな楽しみを受け入れる日本人の気持ちは、自然とともに生きる「共生の楽しみ」をもっていると表現できるのでしょうか。それにしても、イチョウの黄葉を背景の桜が咲いているのは異様に思えます。ご覧下さい、空色の背景に、黄色いイチョウの葉があり、ピンク色の桜が咲いています。振り返ると、秋の老舗の紅葉に、淡い赤みを帯びた桜が咲くと、主役逆転を拒む紅葉が多弁になります。よろしければ、これらを最近のフォトでご覧下さい。
http://pht.so-net.ne.jp/photo/usuzumi/albums/173200

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豊田市小原の「四季桜」 091118撮影

(091128改稿)



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せせらぎ街道 [自然]

せせらぎ街道

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春は桜、秋は紅葉で国道472号線を使うことが多いのですが、別名が「せせらぎ街道」という魅力ある名前で、その名で知られています。郡上市から高山の清見に至る道路(途中、県道73号線になる)です。木々茂る渓谷を西ウレ峠まで登ると、ここを境にして飛騨と美濃を分ける道になります。もちろん、せせらぎというほど、水の音がいつも聞こえるというわけではありません。この峠は野麦峠ほど有名ではありませんが、高山から美濃へ出る裏街道としては開かれたものです。
この日は金曜日であり、天候は晴れだったので、お年寄りの「もみじ狩」の客が多かった。郡上ではまだ紅葉は早過ぎたけれども、磨墨(するすみ)付近の山では赤い色付きが始まっていた。春日神社の対面の山の紅葉の帯が見られる。それを、

神の道(私が勝手に付けた名前です)
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白い枯葉は朴である。紅葉に色を添える。
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西ウレ峠の手前にある散策路
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西ウレ峠の紅葉
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清見の高速道路脇の蔦
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【追加】
まだまだありますので、下記のフォトをご覧下さい。
http://pht.so-net.ne.jp/photo/usuzumi/albums/170897


天生峠の紅葉 [自然]

国道360号線 天生峠

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天生(あもう)峠への道を白川郷から東へ入る。混雑した白川郷の車の列を離れ、360号線を登る。道幅は狭く、しかも九十九折である。過去10回ほど通った経験があるが、この道は神経を使う。道路、対向車、そして美観に。

今日は紅葉が特にきれいだ。雨上がり、青空も見え、木々の黄、赤、橙、緑、茶色が洗われている。春の山を例えて「山笑う」というが、秋の山は「山粧う」という。

中国北宋時代の画家、郭煕が絵画の極意から抜粋して、春は「山笑う」、夏は「山滴る」、秋は「山粧ふ」、冬は「山眠る」が俳句の季語として使われている。特に、漢詩集『臥遊録』の秋の山について、
…秋山明浄而如粧(秋山明浄にして粧うが如く)…とある。

粧いは多色にして形を成す。

一本ずつの木を眺めていると、それぞれの個性を全体の中で感じる。なぜ、その色でなければならないか、なぜ、その形でなければならないか、木には木の主張があり、理由もある。それを感知できない自分もある。

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重複する写真もありますが、フォトもご覧下さい。
http://pht.so-net.ne.jp/photo/usuzumi/albums/170500

タグ:紅葉 天生峠

50年前の伊吹山登山 [自然]

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写真は2009年8月の伊吹山

学の頃だと思う。思い出せるだけで書いていこう。

夜遅く、京都駅を各駅停車で出発し、近江長岡駅に着いた後、
バスで伊吹山登山口についたのが22時ごろだっただろう。

日中は暑いので夜間登山である。そのころリフトやゴンドラはなかった。
神社の横から登りだすときに、
すでに手持ちの懐中電灯の明かりを節約していたことも思い出す。
(当時の乾電池は3時間ほどしか明かりとして使えなかったため)

5合目に到着したときに、元気だった者は後から来る同行者を待っていた。
そこは少し開けたところに出た気がしてホッとした。

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実はこれは単なるアプローチであった。
石ころ道を左右に曲がりながら、ちょっとずつ高度を稼いだ。
八合目あたりが最もつらかった気がした。

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稜線にでたときに、2度目のホッとした。頂上はまだ薄暗かった。
確か、生憎の霧で、日の出は見られなかった。
測候所裏のお花畑を見た。一面に花が咲いていた。

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苦労して登ってきて、この景色を見たときに、頂上達成感とは別の世界を見て、戸惑った。
当時、登山は山に登ることが目的であると思っていた。
一歩、一歩登ることが頂上へ続く楽しさであった。

それに対して、お花畑が出てくることに、一途な気持ちに水をさされた。
ありがたくも平地にはない花である、と解説されても、
私には異物としか感じなかった。

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直射日光を遮るものがない下山は意外と速かった。
しかし、心の中では、高山植物と伊吹山登山の背反に悩んでいた。
私は高山植物を見るために、伊吹山に登ったのではない。
頂上からの景色を見るためと言われるなら、
まだしも登山の意味が分かるのでそうだと返事できる。

午後14時ごろ帰りの列車に乗ったときには悩みを超える睡魔に襲われた。
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さて、 50年後の伊吹山は変わり果てていた。
高山植物を保護している。頂上で食事ができる。
登山道と反対側のドライブウェーを軽装で来る散歩の人が、
騒音とプラスティックを撒き散らかしている。
楽なお散歩は、登山自身の意味だけでなく、
高山植物の受ける汚染も、共通に被っていた。

かつて別世界の2つのものが、今は共通の悩みを持っている。
そのことが不思議である。
ただ、なぜかわからないが、お互いに親しみを持てるようになった。

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